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延寿区

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延寿区内の洞情報

延寿区内の洞情報

玉莲洞

玉蓮洞はかつての仁川府モヌグム面玉洞、漢津里(現在の松島駅付近)、オンアム里(現在の遊園地入口付近)等の地域で、1914年の行政区域改編に伴い、モヌグム、ハンナル、トクバウィ、松島(凌虚台を中心とした一帯に松の木が多く、目の前には島があった事から、日本人らにより松島と呼ばれるようになった。) を合併して玉蓮とし、富川郡文鶴面に編入された後、1936年の第1次府域拡張の際に再度仁川府に編入され、日本式に松島町となったが、植民地支配終了後の洞名改定に伴い、1946年1月1日より玉蓮洞となった。玉蓮洞の由来は、白玉のような石が多かった事から玉ゴル、玉洞等と呼ばれるようになったもので、2003年3月1日には玉蓮洞が玉蓮1洞と玉蓮2洞に分洞された。

仙鶴洞

仙鶴洞はかつての仁川府旧邑面地域にあたり、ドジェ又はドジャンと呼ばれていたが、1914年の行政区域改編に伴いムジムル、ヌッカクブリを合併してドジャン里となり、富川郡文鶴面に編入された後、1940年4月1日の第2次仁川府域拡張の際に再度仁川府に編入され、日本式に舞鶴町となったが、植民地支配終了後の洞名改定に伴い、1946年1月1日より仙鶴洞となった。

延寿洞

延寿洞はかつての仁川府モヌグム面地域にあたり、1914年の行政区域統廃合に伴い、ブスジ、ソランマル、セトマル、ジャンスンベギ、マリクレメギ、モグミ、セマル、ゲンゴジ、ペゴップリ、ハムバクメを合併して延寿里となり、富川郡文鶴面に編入された後、1940年4月1日の第2次仁川府域拡張の際に再度仁川府に編入され、日本式に延寿町となったが、植民地支配終了後の洞名改定に伴い、1946年1月1日より延寿洞となった。延寿洞の名称は、この地が文鶴山の南に位置する温暖な気候で、海沿いで空気が澄んでいるため、健康に適した地であるとされた事に由来している。

青鶴洞

青鶴洞はかつての仁川モヌグム地域にあたり、1914年の行政区域統廃合に伴い、青陵、ティッゴル、ムルプレゴル、アンゴル、オクトを合併し、青陵と文鶴山から一文字ずつを取って青鶴里となり、富川郡文鶴面に編入された後、1940年4月1日の第2次仁川府域拡張の際に再度仁川府に編入され、日本式に青鶴町となったが、植民地支配終了後の洞名改定に伴い、1946年1月1日より青鶴洞となった。

東春洞

東春洞はかつての仁川モヌグム地域にあたり、清涼山の東に位置する事がら東村や東春と呼ばれていたが、1914年の行政区域改編に伴い、スェミ、プルムゴル、カクゴル、ジャアプ、ドゴル、東幕を合併して東春里となり、富川郡文鶴面に編入された後、1940年4月1日の仁川府域拡張の際に仁川府に編入され、日本式に東春町となったが、植民地支配終了後の洞名改定に伴い、1946年1月1日より東春洞となった。

松島洞

松島洞は全国的にも有名な松島遊園地前を埋め立てて造成された松島国際都市全体を有している。松島国際都市の開発と合わせ、面積、人口共に増加を続けており、国内外からの関心も集まる地域である。松島洞は2006年3月6日付の仁川広域市延寿区条例第485号により法定洞が設置され、松島地域の経済自由区域指定に伴う国際都市開発が加速されるのに伴い、2007年1月1日、地方自治法4条により東春2洞から松島洞が分洞された。